なめらかな日々

水のように生きたい

お風呂のなかで食べる蜜柑みたいな都会のつめたさ

 自転車に乗っていると、向こう側から人がぽつぽつと歩いてきた。同年代くらいの女子。すれ違うちょっと前くらいにふっと相手の顔を見ると、相手も私を見ていた。何か神妙な顔をしていた。記憶を手繰りよせて、どこかで見たような……と考えていると、相手は破顔しながら私の下の名前を呼び捨てで呼んだ。中学校のときのクラスメイトだった。

 

 19年間、福岡市の僻地から住まいを移したことがない。

 訪れたことがない他県の人にどんなイメージを持たれているのだろう。「美味しいものが多い」「公共交通機関が至極シンプル」、魅力的な美点の代わりに目立った観光地は本当に少なくて、基本的に福岡県民は美味しいものを食べるくらいしかやることがないわけだ。

 私はそれでも、田舎にしては便利がいい自分の住む街を気に入っている。

 福岡でいい。生まれ育った場所に満足しながらも、意識のどこかではテレビに映る都会の街並みに惹きつけられていた。

 

 田舎のまなざし、都会の横顔

 修学旅行で東京に行ったときのことを思い出す。2017年立春の頃、フィールドワークで三鷹方面の電車に乗っていた福岡の女子高校生たち  私たちは、誰かが言った「東京には住みたくないよね」という話題で談笑していた。たしかに、人は多いし空気は汚い、犯罪ばかり横行している。私も心からそう思い同意していた。あのときは人混みに洗われるように流され、疲弊しきっていたのだった。

 

 今年の夏、不思議な因果で私は一人東京に行くことになった。東京には元恋人が暮らしているくらいで、特に知り合いはいない。ライブ友達もライブハウスで会うだけ。それで、初めてSNSで知り合った人と現実で会った。Twitterの読書垢界隈で知り合った、今となっては特別な人。日記作家のFさん。仏文科志望のYさん。詩的なツイートをしていて魅力的だと思っていたEさんとも会うことができた。


 彼ら/彼女らに会うために、一人で慣れない東京の電車を乗り継ぎ、雑踏を抜けた。なにか違和感を感じた。つきまとう違和感の正体について考え、ついに解った。

 人とすれ違うときに浴びせられていた、田舎特有の"この子は知り合いなのか、こんな地元に住んでいるのはいったい誰なのだろうか"と探るような、あの絡みつく目つきがどこにも見当たらないのだ。すれ違う人は皆まっすぐ前を向いて、通行人のことなどまるで知覚していないようなすました顔をして歩いていた。街に往来する誰も彼もが他人で、コンクリートでできた人型が歩いているような冷ややかさで敷き詰められていた。ここで私は初めて、自分がぽつんと東京をさまよっていることに気づいた。

 

 ひんやり心地よい都会の孤立

 孤独だと思った。そのときは。

 地元に帰り、なめらかに流れゆく日々を過ごしながら、東京のことをしばしば思いだす。九州よりいくらか気温も低いし、今冬東京で出会った人々がすこやかに過ごせたら良いなと心から思う。

 

 福岡もちかごろぐっと寒くなり、家の風呂の湯温も比例した。湯につかることが好きな私は冬の入浴を好む。家族に「温泉みたいで良いよ」とすすめられたので、風呂で蜜柑をひらいてみる。全身がぽかぽかと暖まり上気するのを感じながら果実のひとかけを口に放り込むと、ひんやりとした蜜柑の腹を舌で感じて思わず顔がほころんだ。

 このつめたさは都会のよそよそしさに似ていると思った。思いがけなく冷たいけれど、決してそれは嫌じゃない。ひとりだったあの東京の夜。それが不快な思い出ではなく、あのひとりひとりが自立して交差していた距離感が気持ちよかったことを、私は今になって気づいた。

 

 たぶん私は都会に住むのに向いている。げんに今、東京に住んでみたいと思っていることからして、きっとそう。


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 こういうキャンペーン大好き、好きなエッセイを発掘するきっかけになるから。

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by リクルート住まいカンパニー