なめらかな日々

水のように生きたい

「この人じゃないとダメ」なんてことはない

 過去にわずかばかり経験のある恋愛について思い馳せてみれば、私は愚かであったというほかない。

 恋の絶頂期にあった時はいつ何時も「彼」のことを思い浮かべていた。次はどこに行こうとか、約束の日になんの服を着ようとか、際限の無い妄想がひっきりなしに浮かんでは消え、のスパイラル。彼の身体的特徴や特性などを思い返しては、あんな人はいないと悦に浸り、落ち込んだ時には「彼」を失ったら私はどうなってしまうんだろうと不安にかられたりした。

 「彼」とうまくいかなくなった時は憂鬱の骨頂にあって、身をぼろぼろにするような苦痛の波が私を定期的に襲った。

 あの時の気持ちは、恋に恋しているのではなくて私の本心だ。しかし、今に立ち返ってどうだろう。「彼」は私の生活のみならず私の人生に登場することはもう無いが、私は平然と生きている。時間を一緒に過ごしてくれたことに感謝こそすれ最中の記憶は薄れかけて、もはや何に魅力を感じたのかも不明だ。他に異性はごまんといて、そのほかの人々と「彼」において何か特筆すべき魅力があるとも思えない。

 畢竟、誰だっていいのだ。そもそも恋愛しようとすれば、多くは自分の生活環境下にいる異性と結ばれるさだめにある。そこから「運命の人」を見つけることなど、どだい無理な話なのである。巷でKPOPアイドルに熱中する女の子はもちろんメンバーと付き合えるなら付き合いたいと思っているだろうし、私の学科にいる石原さとみが好きな男子も同様だろう。どうでもいいが、私は佐々木蔵之介が好きだ。みんな心の中にそういった「異性のイデア」があって、その型におさまる人と関わろうとするのではないか。そして甘い顏をしながらこう言うのだ。「君/あなたじゃないと駄目だ」と。虚言によって異性の体を我が物顔に扱おうとする者は除いて、彼らや彼女らは対人を騙そうとしているのではなくて自分を騙しているのだ。思い込もうとしているし、互いに暗示してつながりを強固なものにする。恋愛をしようとするものはみな、熱病に浮かされているのだ。

 ここまで書いて振り返ると、ちょっと身も蓋もない話だったかなとは思う。そもそも人を好きになることが難しいと思うから、それができる人は尊敬するべきなのだろう。恋愛することは幸福だ。

 

桃

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