なめらかな日々

水のように生きたい

長崎エスケープ

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 いま、長崎に行きたい。私の父は行ったこともない長野県に憧れがあり、長野に定住したいと熱望する。いったいどんな見解かしらないが、私はたぶんそれと似た思いを長崎に対して抱いている。すごくつよい思いだ。

 一年以上前に駅前でジャルジャルがお笑いライヴをしていた。テカテカのスーツを30m先くらいから拝んだ。しかし、あの天下のジャルジャルでさえ観客はそこそこいるかなくらいだった。人はどんどん少なくなっている。コロナ騒動もあり、よく食べていた江山楼というちゃんぽん屋さんの一店舗が消えたらしい。

 私の住む福岡はというと、繁華街の土地値は三大都市に負けず劣らずの一等地らしい。たかが九州の最大都市ってだけなのに、高級車がびゅんびゅん通る。ビートルもジュリエッタもコンチネンタルも我が物顔をして走り去っていく。大人になるにつれ、周りに自慢くさい人が増えてきた気がする。それになんだか最近忙しい。自己分析だの、ポートフォリオだの、面接対策だの、企業説明会だの早期選考だのやることいっぱいで沸騰しそうだ。そんな閉塞感のなかふと、長崎のことを思い出す。

 隈研吾設計の近代建築、長崎県立美術館のそばに水辺の森公園というおおきな公園がある。小さい頃よく長崎のいとこと凧揚げなんかして遊んだものだ。大きな木の日陰で小休憩をしながら開放的な芝生をながめ、川辺に肌を浸す。水辺はキラキラして、足はつめたくて、風通しはよく、お気楽な幸せを感じていた。港のそばには洒落たバルやイタリアンなどが立ち並ぶ。長崎の船が水の上をゆったりとすべる様子をながめていると、時間もすぎるのが緩やかに感じる。

 原爆資料館にはもう一度くらい行きたいし、大浦天主堂も小学校の修学旅行以来見てないし、隠れキリシタンの歴史を再度読み解きたいし、それには遠藤周作記念館への来訪が欠かせないだろう。そして長崎の夜景は格別に美しい。コンパクトであるがゆえたのしさが詰まった街だ。

 長崎では多く県外の人を集客するランタンフェスティバルも今年は中止。天下のハウステンボスですら規模縮小して営業。シャッター街と化した商店街の物寂しさったら、筆舌に尽くしがたい。ただ行きたいってだけじゃなく使命感すら感じている。

 路面電車に乗り、長崎をめぐる。そんな日が願わくば早く来ますよう。