なめらかな日々

水のように生きたい

関西、海に浮かんでみる

大阪、京都、兵庫をめぐり、帰ってきた。

旅の記憶を思い起こしながら、荷崩しをていねいにおこなっていく。

 

車で港へ向かい、夕刻船に乗る。水色、黄色、ピンクと連なった空の色がありえないくらい綺麗だった。この船が明日の8時、大阪の港に着く。乗り物のなかで一夜を明かすのは初めてだった。同行者のRは乗り物が好きだから、いつになくわくわくしている様子。船内ビュッフェも感染症対策で炭水化物ばかりの弁当に代わっていて、レストランを後にしながら、これコンビニ弁当でよかったよねとつぶやくRのことばにうなずく。

いよいよ出航、寒い中デッキで港を見ると、数人の人々がサヨナラと叫びながらスマートフォンの光をかざして振る様子を見、胸を撃ち抜かれたように苦しくなり、「さみしい」とつぶやかざるをえなかった。Rは「船ってなんか悲しいよね」と人々に手を振った。

船内の展望浴場に行って温まった後に客室へ戻ると、Rが晩酌をしようと船内ではちみつ檸檬の酒を買ってきていた。下戸の私はいろはす桃味で乾杯。船に揺られながら深い眠りに沈む。

 

早朝、船の揺れにも慣れた頃、朝食を済ませてデッキに登ると港が見えた。雲の浮かばない突き抜けた青空や粟立つ海の渋さ、見えるものすべてが青い、清く爽快にまみれた朝の空気、尊い。「F」という文字が点滅している。「あれって何やろ、横浜にもあったけど」と尋ねると、「フェリーが通るってサインじゃない?こんなでかい船通ったら漁船が危ないから」と整った答えが返ってきたことに感動した。

 

確か閑散とした神戸の中華街に向かって、姉が絶賛する豚まんを食べた覚えがある。舌が未熟なのかコンビニの豚まんの方が好きやなと残念なモノローグを立てながら、しかし小籠包は美味だった。出店の「あまおう飴」ーーあまおうに飴をかけたフルーツ飴ーーを瞥見して逆輸入やんと笑うも、なんだか食べたくなって頼んだ。でたらめに甘く固い、がりがりと可愛らしくない音を立てて飴の壁を崩す。

 

調べれば近くに「北野異人館」があるというので気まぐれに行ってみれば、まあ相当に見応えのあるところだった。さまざまな国籍のアパルトマンが住んでいた家をめぐることができる地帯、洋館が好きなわたしには満足できるところだった。とくに「洋館長屋」というフランス式の建物では謎の世界観のスペースがあって度肝を抜かれた。

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人の顔がついた本、外にはペンギンが飛び、カレーの海で豚が泳ぎ、コウノトリらしき鳥が花瓶に飾られ、怪訝な顔をした紳士が座る椅子には巨大な蜂。素敵すぎる空間。この旅のなかで一番テンションが上がった。洋館長屋の下に構えている店にミッフィーちゃんのエコバッグが売られているのも疑問だったが非常に欲しくて煩悶していると、見かねたRが買ってくれた。

 

その次は宇治。私はお茶といふものをこの上なく好いている。それはRも同じだった。日本茶検定1級を持っているらしく、事あるごとに緑茶蘊蓄を語ってくれた。辻利や伊藤久右衛門で四千円分ほど緑茶に費やした。橋の川辺にはのんびりと寝そべる人々、のどかだなあと見る。

カフェで抹茶ロールケーキと紅茶を頼む、いたって美味。両隣から京都弁が聞こえて高揚する。Rは緑茶と抹茶の団子を頼むも、玉露は独特な味だったらしく「まだ早すぎる味」と評していた。

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ホテルに着いたのは夕暮れだった。そこそこ良いホテルの40階、見晴らしが非常によくてテンションが上がり、写真を撮りまくる。濃紺と強い橙が溶け合った空に、イルミネーションのように郷愁感漂う街のひかりに魂を奪われてしまいそうだった。

 

近くにスシローがあったので、スシローにて夕食をとった。「〜いけへんでー」とすれ違いざまの通行人が喋っているのを聞いて、おお……と顔を見合わせる。関西弁をもっと感じたかったが、店内はものすごくうるさい。寿司は平常に美味。

帰りにホテルで食べるスイーツを買って、いくつかのことばを交わし、スピッツのライブに一緒に行きたいねと未来の話をしながらホテルに着いた。遅くに就寝。

 

 よく眠れなかった。早朝Rがねむたい顔でおはようと言ってカーテンを開ける。よいながめ。完全に忘れていた2ショットを今更に撮った。

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 道頓堀、たこやき。初めて見るグリコ、予想以上に小さい通天閣、空いてないあべのハルカス、空いてない海遊館、全てにおいて人が少なく、自粛要請を無視したツケを感じた。

 大阪にさよならをして、新幹線にて家路につく。 

 こういう機会はまた来るだろうか、ぼんやりとしながら手を動かして、荷崩しを終えた。