なめらかな日々

水のように生きたい

つくりものみたい

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 好きなアイドルグループの初期メンバーがまたひとりグループを旅立った。あのアイドルグループがいつの間にか私の中で大きくなっていたことを知ったのはドキュメンタリー映画を観たときだった。今は去りし神話的存在の絶対的センターが人知れず苦しみを抱え、それでも必死にパフォーマンスする姿を見てボロ泣きした。そのとき小さな違和感が私を刺した。涙腺を刺激するこの感情は本当に自分がつくりだしたものなのか、疑わしかった。

 いつも自分の考えていることがあまりよくわからなくて、人と一緒にいるときは尚更自分の意志は不透明になって、いつも一緒にいるはずの私の精神は解離したかのように漠とする。遠野遥じゃないけれど。

 小旅行の出先、売店で売られていたドライフラワーを買った。その花々は今私が使う卓上に飾られている。素直にきれいな花だと思った。壁面に貼ったボルタンスキーとシュヴァンクマイエルのポスターを引き合わせるとお洒落に見える。しかし今考えれば私は本当に花を見てかわいいと思ったのだろうか? 花をきれい、かわいい、と思う自分を無意識にブランディングしたのではないか、そのように思ったりもする。

 対象物に対し、混じり気のない気持ちを抱いていると確信できるものは私の周りにいかほどあるだろう。お洒落でポップな音楽が好きなのも自分をそう偽ってお洒落な人間ぶりたいだけ? 化粧を施した自分の顔を多少気にいるときがあるのも人に見られるのが不安だからそう思いたいだけ? いつか自分の制御できないところまで彷徨してしまうのではないか、私が私とともにある限りその思いは消えない。