なめらかな日々

水のように生きたい

無常のなかで

人の粘膜のにおいとぼってりした肉の重み、早くなったり遅くなったりする鼓動、呼吸する空気の流れる音、熱気を帯びた体温。

私が知覚しうるかぎりの情報を外界から受け取ることで、ああこの人は生きているのだと感じる。同時に自分が生きていることを思い出す、強く自認させられる。死に傾きつつある動物であるということも。

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。

 

小学校の頃暗記させられた平家物語のフレーズを最近よく思い出して口ずさむ。可憐に咲く花を見つめてどきどきするくらい美しくみえるのは、咲き誇りきった末の姿を無意識に重ね合わせてあはれを感じるからではないか。

 

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水害の報道にメメントモリを思う。

私が人生のなかで感じた屈託やよろこびは肉体がほころび尽きたそのとき水平線にかえり、すべてが意味をなさなくなる……そう考える。そのようにして水はすべてを乱暴に薙ぎ、記憶をさらっていく。前触れもなく他人の魂が失われるつらさを思うとやるせなく、もし自分の家が泥水に汚され押し流され、親しい人を奪われる身にあったのなら、これは天命だったのだと思うことでしか自分を慰められないだろう。

 

いつか無に帰するときが来るまで、私は人生を全うしていたい、今はそう思う。近い未来の目標もできた。生きるということ、むつかしいけれど、いつも音楽や文学、人に助けられている。

 

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