なめらかな日々

水のように生きたい

東京再訪-9/2、青梅・立川

 起床、8:30。この日の服装はなかなか気に入っている。merlotのチャイナ風のボタンがついたシンプルな白いトップスに、WEGOという雰囲気がうるさい服屋で買ったデニムのミニスカート、それから黒いヒール。鞄はmarimekkoの紺のショルダーバッグを肩にかけた。量産型といえばそうかもしれないが、着ているとテンションが上がる。DYGLの朝っぽい曲を聴きながら、いつもより時間をかけた支度をした。

 フロントマンに行ってらっしゃいませと声をかけられつつ外へ。今日は青梅駅を散策する予定。1週間前の天気予報は曇りがちだったけれど、じんわりと肌に沁みるような熱射がビルの窓に反射していた。日本橋駅から東京駅まで歩くのがやたらと爽快に感じる。それはきっと音楽を聴いているから、という理由も多分に含まれているだろう。このブログのタイトルであるミツメの「なめらかな日々」これを心境、天気、ところ構わず聴けば、いつでも少し楽しい気持ちになれるのだ。高層ビルに囲まれて歩きながら、自分が東京にいるという因果を不思議に思った。


ミツメ - なめらかな日々

 11:20に東京駅でゆうまさんと合流して、青梅行きの特快に乗る。会った瞬間はあまり気にならなかったが、彼は女の子のバストアップがプリントされたTシャツを着ていて、話すとき女の子の顔にしか目が行かなくなってくる。
 新宿を過ぎ、青梅に近づくにつれじわじわと減っていく乗客。隣にいるゆうまさんは昨日の鎌倉散策の影響か眠いと言っていたので、そのまま寝かせておいて私はイヤホンで音楽を聴いた。東京にちなもうと思い、東京のバンドであるミツメの「エスパー」や、くるりの「赤い電車」をリピートしていた。

エスパー

エスパー

  • provided courtesy of iTunes
赤い電車

赤い電車

  • provided courtesy of iTunes

 しばしば目をつむってはひらき、人の流動をながめ過ごす。向こう側のガラス窓に、こちらを見つめる私の姿と顔を高く上げて寝入るゆうまさんが映っている。車窓から見える景色からだんだんと大きな建物が減り、住宅で覆われていったところで終点の青梅駅に到着した。
 遅れる旨を連絡していたが予想に反して早く着いたので、改札でFさんを待つ。雑談をしながらもそわそわと落ち着かなく、ちらと改札から外をのぞく私。通行人の全てがFさんに見えた。少しして、「あ」とゆうまさんが言う。ゆうまさんは背後を見ている。後ろを振り返ると、Fさんが眼前に立っていた。
 あまりにも分かりきった邂逅であるはずなのに私は混乱していて、えぇ、とか、わあ……とかもごもご呟くなか、お久しぶりですと言われながら伸ばされた手を握った。

 

 青梅駅近くの喫茶店へ。モスクワ土産のお菓子を頂くことになり、私はFさんに頂いた『岩田宏詩集』の御礼兼貢物として少額の図書カードを贈った。昼食として小さなストロベリーパフェを味わい、ゆうまさんは抹茶パフェを瞬時に平らげていた。Fさんがご友人と行った立体展示の話を伺ったり、お元気そうで良かったです、とお互い言い合う。Fさんが最近プリーモ・レーヴィを読まれていると伺っていたのでそれに関連して、鎌倉の書店で見つけた『アウシュビッツの巻物』という興味深い本を紹介した。ゾンダーコマンド  ユダヤ人の死体処理を行う部隊に配属されたユダヤ人の記録らしい。

アウシュヴィッツの巻物 証言資料

アウシュヴィッツの巻物 証言資料

 

 31日に会ったときから思っていたが、ゆうまさんは前回会ったときよりも口調に抑揚がなくなり、覇気がないような印象を受ける。ここでそれを指摘すると、前回会ったとき猫を被っていた(!)から、緊張が解けたのかもしれない、と見解を述べていた。

 Fさんは少し髪や髭が伸びて短髪時のスポーツ感は失せていて、「髪が伸びましたね」と言うと、そりゃあ人間ですからねと笑われた。やはり立ち姿がしゃんとしていて、白いシャツが似合うなあと思った。

 

 喫茶店を切り上げて青梅市街を散歩することにした。日差しは厳しい。散歩日和とは言えなかったが、Fさんの日記に出てきて想像していた街を実際に見て歩くのは楽しかった。住宅裏の細い通りを、Fさん、ゆうまさん、私の一列縦隊で歩く。神社に続く長い階段を見上げ、通りに出ると、「昭和の町 青梅」というコンセプト通り"昭和"の名が入った建物が見受けられた。レトロな装飾の街灯が並ぶ商店街はシャッター街と化していた。Fさんが学生時代通っていて、最近閉店してしまったというCDショップの閉店のお知らせをながめて、音楽遍歴を少し伺いながら青梅駅に到着し、立川に向かうことに。これはなんとなく撮った青梅駅

f:id:nrrhn:20190909185215j:plain

 電車に乗り込み、三人掛けの椅子に並んで座る。立川まで30分ほどだ。停留駅の欄に「福生」の名があった。以前読んで印象に残っていた「あのときこちらは福生にいた。」という日記の一文を思い出し、それに関連して東日本大震災のとき何をしていたのか、というような話をした。Fさんは福生にいて、当時は建物の中にいる人が出てくる程度の揺れを感じたという。私は福岡で、学校にはおらず、公園で遊んでいたような覚えがある。揺れは感じなかった。ゆうまさんは高校の卒業式前日だったと言っていただろうか。ゆうまさんはまぶたを下ろして、うん、うん、へえーと相槌を打っていたが、じきに眠ってしまった。明日お会いするアイトラッカーさんへ贈る本の選書を相談し、Fさんの読書会の課題本をお見せしてもらった。 

 

 ふと携帯の通知を見ると、ちょうどそのときTwitterのダイレクトメッセージが届いた。「東京にいつまでいるのか」という内容のもので、以前東京を訪れたときにも聞かれ、会えないことがわかると音信不通になった人だった。それで、読書界隈でも出会い厨みたいな人っているんですねえとこぼすと、Fさんはそりゃあいますよ、見たことないけど、と言っていた。

 それに関連してFさんが、僕だってそんなに興味があるわけでもないけれど、どちらかといえば可愛い女の子とイチャイチャしたいですよと正直すぎる本音を立言していて面白かった。その話をうっすらと聞いていたのだろうか。立川駅についたゆうまさんは、出会い厨って……出会い厨はもしかしてあの……とぼんやり要領の得ない発言を繰り返し、意識は明瞭でない様子だった。

 

 立川のルミネにあるジュンク堂に寄った。現代詩の詩集の棚からFさんが勧めてくれた、私も読んだことのある石垣りんの詩集を購入し、ラッピングしてもらった。アイトラッカーさんが喜んでくれたら嬉しい。ゆうまさんはちょくちょく姿が見えなくなっていて、幻想文学の棚を見ていたそうだ。私とFさんは日本作家の棚を見渡し、Fさんが気になっているという本を数冊教えてもらった。Fさんは先ほど贈った図書カードを使ってプリーモ・レーヴィの詩集を買う予定のようだったので、買ってあげましょうか、と提案するも冗談として受け取られたらしい。ゆうまさんは蝶の表紙の文庫本などを買っていた。私はガルシア=マルケスの「エレンディラ」と迷いつつ、勧められるがままに柴崎友香の「ビリジアン」を購入した。飛行機のなかで読もうという考えからだった。

 そうして本屋での用事は済み、右手につけた腕時計を見た。17:00台だったように記憶している。時間が過ぎるのが非常に早く感じる。夕飯というには早すぎるので、本屋に併設されたカフェで夕食の時間までいることに。私ははちみつアップルティーなるものを頼む。ゆうまさんはサンドウィッチを頼み、盛んに食べ物を口に運んでいた。ここで、Fさんのモスクワから帰る飛行機で知り合ったブラジル人の方の話を伺ったり、ゆうまさんが最近傾倒しているツイキャスの話をした。Twitterでゆうまさんがお会いした方が美人だったようだという話をするや否や、Fさんが「マジか、会いてえ」とまた正直なことを言ったので、最低だと緩く糾弾するとまたよく笑っていた。

 ゆうまさんはSkypeでグループ通話をはじめた。通話人数が4人、5人とだんだんと大所帯になってきて、大人数が苦手な私は緊張して口数少なに飲み物を啜る。最初はゆうまさんの顔が全面に映し出されていたが、外カメに切り替えられてFさんが映された。Fさんは指や腕を使い、軽妙な動きで顔を隠していたが、やがて疲れた、と言って素顔を晒していた。ついで、隣に座る私の容姿も全面的に晒される場面もあった。

 

 そろそろ夕飯時かとなり、グループ通話はおしまいにして、寿司屋でディナーと相成った。

 混んでいたので、椅子に座って順番を待つ。ゆうまさんがツイキャスをしに行っている間、私とFさんは写真を撮った。モスクワ日記のMちゃんについてたずねたりして話していると、Fさんにまだ毎日日記を読み続けているんですか、と尋ねられたので、まだ?まだって何ですか!と軽く憤慨するとFさんは笑った。僕の日記を毎日読む人はよっぽどの暇人か奇特かどちらかだ、と。Fさんの日記が好きな人はたくさんいるはずだけれど、確かに毎日読むのは社会人になるとなかなか厳しいだろう。内心どちらにもまあまあ当てはまるのかもしれないと思いながら、いつか日記を読む習慣をなくす自分というのは考えられなくもないかなと思った。軽度の飽き性を自覚していることが理由のひとつでもある。

 或いは……私は根っからのネガティブ思考者であるためか、ものごとが始まるとその瞬間を楽しめばいいのにわざわざ終わりを想像してしまい、悲嘆にくれる被虐的資質を抱えている。人間関係や習慣、ひいては人生においても長く空漠として暗雲に包まれた、終わりの見えない未来を想像して打ちのめされてしまう。Fさんの日記を読む習慣に対しても、そしてこの日についてもそう。本屋に行く道中、夜の帳が降りはじめる立川の薄闇を見上げながら、現れ始めた一日の終わりを思ってひどく落ち込んでいた。

 そうして話をしていると、Fさんの名字が店員に呼ばれ、テーブル席に通された。Fさんは箸と皿が1セットだけ用意された側の席に移った。私は向かいの席に座ろうとしたが、やっぱり違和感があるなと考えて「隣がいいです」と言いながらFさん側に食器類を移動させた。Fさんはそれを愉快そうに笑っていた。

 頼んだ寿司を待っている間、Fさんが奥手であるという話をした。僕がガツガツしてなかったからよかったですけど、ねんさんみたいな人はすぐ食べられちゃいますよ、というようなことを言われたので、バンドマンみたいな、「ファン食い」ってやつですか、と聞くとそうそうと笑っていた。

 他、ゆうまさんの過去の恋愛の話を少しして(彼はあまり過去の恋愛について話したがらないので、わりかしレアである)、かつて関係を育んでいたという「先生」からなんと呼ばれていたか聞くと、普通に名字にくん付けだというので少し驚いた。

 寿司が来て、皆黙々と食べる。ゆうまさんは大好きなえんがわを3貫も頼み、つまらなさそうな顔で食べていたが、聞けば昨日鎌倉で食べたえんがわよりも美味しかったらしい。私をよくお子様だとからかうけれど、ゆうまさんからも全体的に童心が感じられる。ゆうまさんは私より年下の子供みたいだ。

 完食後はどこかに入ることになって、移動しカフェに着いた。一日の終わりまで、3時間を切っていた。

 アッサムティーを持って席に戻ると、Fさんは日記を読んでいた。覗きこむ。やはり角ばった几帳面な字が規則正しく並んでいる。Fさんは日記を私に預けてくれて、ドリンクを頼みに行った。ゆうまさんと一緒に読むと、それぞれの日付に「R」という頭文字とともに何やら時間帯が書かれてあった。これはなんだろうと話し合い、Readingの「R」じゃない?とあたりをつけて帰ってきたFさんに問うと、やはり読書時間の記録だった。

 その後日記に残していたメモを指し示して、「物語」と「小説」の違いは何たるかというテーマについて講義を執り行ってくれた。私は創作に役立つなと思い、Rollbahnの林檎柄のメモ帳にメモを取った。

 途中、ゆうまさんはグループで通話。私とFさんはふたりで話した。この間、私は何かの会話の流れから私の父の話、つまり在日外国人における待遇や排斥について話した。

 私の父は参政権もないし、成人式の招待状は来なかった。公務員として働いているのに、正規の立場より一段階低く、昇進ができない。外国人である、というだけで。生まれも育ちも日本で、他の日本人と何ら変わらないというのに、それはおかしいんじゃないかと思う、と日々思っていることを述べた。周りの友人に自分が在日三世であることは言っているんですかと聞かれ、親しい仲であれば言っています、と答えた。家系に限らず、大事なことは性格や普段の言動から鑑みて安心できそうと判断した人にはすぐ言ってしまう。やはり警戒するよりも心を委ねたいと思うから、すぐ騙されてしまうのだろうか。

 そのあと海外文学の話になって、Fさんに本を読んでいて印象に残ったところとかありますか、と聞かれ、金原ひとみ「アタラクシア」の作中描写が瞬時に思い浮かんだ。

 喧嘩をしながらも、一緒に食事をしながら夫婦で会話する一幕で、夫はトッピングとして必要なネギがないことにふと思い至る。一人称で夫が「ネギがないことがこの世の終わりのように悲しく思えた。」という一文、これがずっと記憶に残っている。愛する妻と喧嘩をせねばならない失望に濁った世界観を表しながら、金原ひとみ特有の苦味のあるコミカルさを備えていてハッとさせられた。それを上手くプレゼンできた気は全くしないが、とにかくそれが良かったです、と言ったと思う。

 話している間にも着々と時間は過ぎていく。ゆうまさんは遠いところに住んでいるから、そろそろ帰りたそうにしていたのに、私はあと何分まで、とか言って引き伸ばしてしまった。あとなにか言い残したことはないですか、と面接官のようにFさんが言ってくれたが、無限にある気がして何もうまく言葉を作り出せなかった。

 

 退店するとき、絶望的な気分だった。私は多分その時、普段の1.2倍くらい感傷的になっていたと思う。何もそんなに落ち込まなくてもと今は思うが、地獄に突き落とされる手前と表現すれば私の当時の気持ちに近い。歩きながら、今日はありがとうございましたとFさんに告げる。じき到着した改札内の隅で三人固まり、いよいよお別れ、である。なんだか上の空のゆうまさんに握手を求めるFさん。ふたりは握手し、ゆうまさんの手がなんだか大きいぞと手の大きさを比べあっていた。その様子を見ていると握手じゃ足りないな、と我儘な考えが起こって、握手が私の番に移るとハグがいいです!と言ってみる。Fさんにえ?え?と半笑いで何回か聞き返されるも、遂に欲求は果たされた。ハグというか普通に抱きしめてしまった気がするが、ついでに握手もして、満を持してさようならを告げた。

 駅へ戻る車中のゆうまさんは興奮している様子で終始笑みを浮かべていた。ゆうまさんといると話題がつきない。東京駅に着くまで1時間半前後かかるのに、10分くらいに感じた。

 改札で別れる際ゆうまさんも握手を求めてきたので、それに応じて別れホテルへ帰還。シャッターが降ろされた浅草の商店街に迷いそうになりながら客室に戻ったころ、AM0:00を回っていた。
 その後はひととおりのことを終えて、今日のことをよくよく回想しながら眠りに落ちていった。幸せな一日だった。

 

また長文に……ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

diary20161111.hatenablog.com