なめらかな日々

水のように生きたい

覚醒する余韻

長い旅を終えた。他人の時間を頂いて、いろんなことを話した。いつか、また、なんていつ来るかわからないし、どんなに望んだとしても永遠に来ないのかもしれないし、とても信じられないようなことだが、私は明日死に絶えているかもしれない。信じがたい真実はばっくりと開いた傷口のようにグロテスクな様相を抱えて私の眼前に現れる。現実を受け入れなければならない。執着と好奇の塊のような人間は自分を抑えるということを知らないし、己の惚けた自我は生活の中で常に私を悩ませる。日々のつらさのなかで、楽しさや、悲しかったこともすべて、過去の自分が読み返しても恥ずかしくないような文章を綴ることが、出来事の余韻に浸るということなのではないか。ささやかにこの場所に記し続けたい。私は文章を書くことを続けたいのだ。


f:id:nrrhn:20190903221811j:image