なめらかな日々

水のように生きたい

くるった人びと

新興宗教を信望する人。人形と会話する人。親でも殺されたかのように店員にクレームをつけている人。自分で産んだ子供を殺す人。

人はたまに狂気的な一面を見せる。私にとって狂気とは、例えば怒りである。他人が怒り狂って暴力的な言葉遣いをしているとざわざわと落ち着かない気分になる。或いは奇行。或いは偏執的な行動。不安定な言動。それらに恐怖するいっぽうで、そういった一面を垣間見せる人たちは指の隙間からのぞいてしまうような不思議な引力がある。人が狂っていると安心するのかもしれない。なぜなら、わたし自身が尋常でないからだ。自分では操ることのできない狂気を持つことをおそれつつも、同じ狂気をコントロールできずに周りへ発散させている人を見ると、自分の狂気がちっぽけなものに思えて落ち着く。狂気を持たない人よりも、持つ人のほうが魅力的であることは間違いない。わたしは人を恐れているが、同時にわかり合いたいとも思う。自分とて、例外ではなく。