なめらかな日々

水のように生きたい

まちびと


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〘まちびと〙

 

 学校から出ている高速バスに乗って繁華街に到着したころ。時計を見てあの時間のバスに間に合う、と思ったけれど、バス停へ向かう足は重くゆっくりだった。

 あ、今この信号走って渡りきれば、きっと乗れるな。頭の何処かで時間の計算をしている自分とは裏腹にわたしの身体は依然としてゆっくり、ぽつ、ぽつ、と地面を踏む。やがて人が往来する横断歩道のコバルトグリーンは瞬き、ときおり走ってなんとか渡ろうとする人がちらつく。あ、と思った瞬間信号は眩い赤に塗り替えられ、そこでようやく「自分は家に帰りたがっていない」ということに気づいた。

 

 すべてはなんとなくだ。

 朧げな思考のまま雑踏に隠れて、静かなところへ赴いて、誰にも認識されないようにちょっとだけ時間を潰したい、そんな気分。

 ただ買っている魚にエサがあげられないことを少し気にしながら、繁華街の中でも四階建てと規模の大きい本屋へとわたしの足は向かっている。イヤホンから流れるこの曲はアイドルソングインストルメンタル。真っ黒な空にまったくもって似合っていない。こういう気分のとき、わたしがふらりと立ち寄るところはだいたい決まっている。蔦屋、ブックオフキューブリックヴィレッジヴァンガード。わたしは時間を潰す方法をあまり知らない。そこまで頭が回っていなかった。こんな意識のまま知り合いに鉢合わせたりしたらきっとわたしの口は素直に言葉を滑らせられないだろう。知っている顔を見ないことを切に願いながら、本屋の重たいドアを勢い込んで押した。

 途端、ふわりと特有の匂いが鼻をつく。印刷物の硬質な匂いに、ふと中学校の小さな学校図書館に通い詰めた日々を思い出す。

おだやかな昼下がりの図書室で、この匂いを感じながら本を漁るのが好きだった。カウンターに座る図書委員の友だちとムーミンの可愛さについて談義したり、本を借りに来た先輩をちゃかしたり、そういった時間の終幕を感じさせないゆったりとしたひとときが、今となっては特別であったと感じる。スマホから流れる音楽を中学のころ聴いていたバンドの曲に変えて、わたしはまず一階にある雑誌のコーナーを視界に捉えた。

 平日の夜の本屋は一番好きだ。第一に、人が少ない。休日に行くと人を縫うように避けて歩かなければいけない雑誌コーナーも過疎地域になっていて、わたしは女性雑誌の表紙を視界に入れつつ音楽関係のラックへと向かう。いつも誰かに立ち読みされていて読めない雑誌の最新号を手に取りめくったけれど、めぼしいアーティストはフューチャーされていなかった。落胆とともに雑誌を戻し、文芸や芸術の棚をめぐっても読書意欲をそそるような見出しは見つけられない。急に飽きてしまってエスカレーターを見やると、ぼーっと上を見上げて二階に到着するのを受動的に待っているサラリーマンやOLの姿が認められた。わたしもそれに続くことにする。

 平日夜の本屋が好きな第二の理由は、人々がどこか疲弊しているからだ。

 この時間に来るような本屋の客は、暇を持て余したわたしのような学生、あるいは仕事終わりに疲れた脳で疲れた顔をして来る社会人の二通りだ。それはごわごわしたコートを羽織り難しい顔をして経済本を読むいわゆる「おじさん」だったり、よれた化粧も気にせず話題本のコーナーに佇むOLだったりする。そして、彼ら彼女らはみな口の端を平行にし、およそ他人向けとは呼べないような顔をして本と向き合っている。深海の魚のようにゆらゆらと徘徊し、本を貪り、本屋をあとにする宿命を抱えているひとびと。そういう人を見かけながら、わたしはときどき途方もない空想を広げてしまうことがある。

 二階に上りあがって、なんとなくサブカル本が並ぶ本棚を見に行くと、そこでひとりの女子中学生が棚の中央を陣取り、新書サイズの本を熱心に読んでいた。

 黒に近い紺色セーラー服のスカートをひざ丈に短くし、おろしたロングヘアにはヘアゴムの縛りあとがくっきりと残っていた。黒髪のすきまから覗いた横顔は誰かに似ているような気もする。

 わたしは考えた。かりにも、平日の夜。現在時刻は八時すぎ。この子はきっと繁華街にある塾の帰りか、もしくは塾をさぼっているのではないか、と。予想は当たっているだろうか。女子中学生はページのすみっこをつまんでめくった。そそっかしい子なのかスカートの裾が一部分だけめくれていて、わたしもよくやったなーと感慨にふける。

 ふいにまた、昔のことを思い出した。放課後の暗くて寒い渡り廊下、冬の早朝に思い切り吐いた息の白さ、授業中に突如蜂が入ってきて混沌とする教室のざわめき。ぬかるんで気持ち悪いプール後の女子更衣室は制汗剤の臭いで渋滞して最悪だった。それらすべてがキラキラした中学時代の思い出の象徴として君臨している。

 夜に時間があるときは、わざわざ遠回りして中学校近くの帰り道を通りながらいろいろなことを考える。修学旅行先は今も沖縄なのか、あのこわい先生は今でもいるのか…………。

 

 そこまでぼんやりとふけってから、はっとした。この女の子がどういう事情で本屋に来たかなんて、いずれにしてもわたしの知ったことではない。わたしはまたしても空想の世界に入り込んでいた。

 みれば、サブカル棚に並ぶものはどれも見たことがあるもので、面白そうな新刊は並んでいない。女子中学生はわたしに気づいているのかいないのか、とにかくページをめくる指は止まらない。制服からのぞく手首はぽってりしていて、都会らしさは感じられなかった。

 身を翻して歩きながら次に向かう本分類を考えていたら、その子の存在も次第に脳裏から薄れていった。わたしはあの女子中学生のことを忘れるし、相手に至ってはわたしのことを認識すらしていない。その距離感が極めて心地よかった。

 わたしが透明人間だったらすごく幸せなのに。気を使われることもなければ、好きとか嫌いとか感じなくていいし、別れが悲しくなったりしないのに。たぶんわたしは人間に向いていない。無機物に転生できないかなぁ。こういうとりとめのないことを考えるということが、まさに「ぼーっとしている」ということなのかもしれない。

 自己啓発本を冷やかして、邦楽アーティストの本をぱらぱらめくっても興味を惹かれるようなものは見つからなかった。というよりも、わたしはもとより本を読む気分ではないのだ。

 人がいないところを探しているうち、詩集のコーナーで本を手に取っている自分がいた。

 フロアの角にあるこの棚は奥まっていて人の気配を感じない。自室に一人でいる感覚と似ていて落ち着く。ティーンエイジャーに人気の詩人が書いた詩集は何度辿っても難解で、意味を探しながらその文字列を眺める。一人称がぼく、好きな人を指す言葉がきみ。切なさ全開、みたいな文体が煙たいときもあるけれど、今はじんわりと心にしみる。

 

 時間が止まったように過ぎたころ、足音が聞こえた。革靴で床を踏むような冷たい音。こちらに近づいている。詩集の棚からのぞいた黒い大きな人影のゆらめきが、視野の限界あたりに映った。

 かまわず読み進める目は動かしながら、しかしなぜか落ち着かない。男のゆっくりとしたコツ、コツという革靴の音がわたしの集中力を霧散させている。斜め後ろあたりで足音は止まった。読む本を熟考しているのだろうか。一瞬、珈琲と煙草の臭いが混じり合った臭いを感じた気がした。

横目で少し見やると男と目が合い、一瞬で気まずくなったわたしはぎこちない動きでひねった首を元に戻した。

 四十代くらいのおじさんだ。百八十センチくらいははゆうに超えていそうな身長で、厚ぼったいまぶたから黒目がちな目をこちらに向けていた。その目は暗い。絵の具で塗りつぶしたような黒色で、なんの感情も混じっていないように見えた。

 もはや詩集に並ぶ暗号のような文字より、おじさんのほうに意識が向いていた。

 わたしは見ず知らずのおじさんに、知らず知らず期待していた。

 もし、彼から声をかけられたら、ここではないもっと良い所へ飛べるかもしれない。わたしをいざなってくれるかもしれない。漠然とした日々の営みから解放してくれる場所へ。このおじさんが、その能力と圧倒的な自信をもつ特別な人だったら、わたしもこんなところに留まらなくたっていいのに。一介の大学生という肩書きを踏みにじって、超越したものへ……。

 本を開いたまま俯き、さまざまな想像を重ねた。ふと、我に返る。おじさんがいた方向を振り返ると、そこには背の高いおじさんも、珈琲と煙草の臭いもわたしの幻覚だったのかと思うほど忽然と消えていた。プレイリストの最後まで再生し終えたのか、音が止まったイヤホンを外す。急に聞こえてくる騒々しい空調の音、近くを通りすがるヒールの音が頭に響く。そういえば、ここは本屋だった。なぜか猛烈な脱力感に襲われて、かすかに溜息をついた。

 

 自宅までのバスに揺られながらぼんやりと窓の外を見ていた。美しいネオンとまばらな人々。まともに生きている人間と普遍的な景色。小さな液晶上の関わりなんて薄っぺらく感じて、携帯を操作する手を投げだした。

 感じなければなにも生まれない。見なければ、わたしの世界には存在しない。だけど避けては通れないものも世の中にはたくさんあって、見えないものは確かに存在している。思考はめぐり、言葉を探り、わたしたちは理解しあえない。そうした日常に疲れたら、わたしはまたひとり、休息しながら日常の終焉を期待する。

 
2019/02/27