なめらかな日々

水のように生きたい

うめた

友だちを土のなかに埋めた

私が水槽の前に立つと、陶器でできた隠れ家から顔をのぞかせて、餌をもらいにそよそよと浮き上がってくる姿が愛らしかった

 

友だちの墓場はブルーベリーの木の横にきめた

スコップで土のなかをあばいて、水草のクッションの上に彼女をやすませて

カップのカルキを抜いた水を入れたら、まるで土のなかが小さな水槽のように見えたから、

またいつものように元気に泳いでくれるんじゃないかと一瞬思った

 

泥水の水槽、居心地がいいはずがないし、かわいがっていたマドレーヌは私より先にもう天国へいってしまった

 

そう思うと、わたしが死んだとき、ずいぶん前に死んでしまったちくわにもマドレーヌにも会えるんじゃないかと思うとすこし嬉しくなって泣いた

 

水槽にただ一匹のこされた子を大事にしていこうと思う

 

友だちが安らかにねむっていられますように

 

 

ニッキ

今日した会話は愛みたいだった。愛じゃないけど愛っぽかった。未来のはなしをしていい雰囲気がながれてた。うそみたいなきづかいと高い声の温度は夏が近づいている気配。

AVIOTというワイヤレスイヤホンを買ってからテンションがずっとたかい。

みためを小綺麗にしているか、そうでないかによって人の態度は全然違う。そんな世の中がなんかもうやるせなかった。他人から向けられる言葉を解離させるようになったのは最近のこと。

マツダという自動車に乗せてもらった。私は人の自動車に蹴りを入れるのが得意である。運転手はちょっと怒っているような、しょげているようなようす。車とは独占欲の発露か。

夏はとうきょうに行きたい。能天気な夏にならないことは間違いない。

「もうきみに会うことはないゴダールのフィルムのなかの遠い街角」という短歌が頭んなかをぐるぐるめぐっている。

ちょっとまえ絶望の沼底に首までどっぷり浸かっていたのがうそのよう、あっけらかんとピュンピュン自転車をはしらすわたしは、いつまで健全でいられるのだろう。

はる

 シュールでばかげたオリジナル・ポルノを一緒に見ながら笑ってまたねおやすみって電話を切った後、こんな関係も……まあ……嫌いじゃないかな(ハート)ってなる自分が嫌いだったり、LOMO LC-Aというカメラがほしかったり、YouTube Liveできいた町屋良平の声が好きだったこと、など、特筆すべきできごとがきわめて少ないまま、好きな季節がすぎてしまいます。
 まいにちMacbook proと向き合いながらも一文字も書けず、自分は創作能力がないのでないかと不安な日々が続きます。今わたしたちに降りかかっている災難は避けようがないことだったのかと考えていますが、畢竟これも運命なんだと思います。
 そう思いたい。
 最近のニュースを見ると、虐待の報道を見ているときのような手足のしびれを感じ、苛苛が募ります。芸術活動はたゆみなく続いていってほしいと心から願います。"良い眠りを"
 
小学館

小学館

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 「今日から三週間目覚めちゃダメだよBABY」

関西、海に浮かんでみる

大阪、京都、兵庫をめぐり、帰ってきた。

旅の記憶を思い起こしながら、荷崩しをていねいにおこなっていく。

 

車で港へ向かい、夕刻船に乗る。水色、黄色、ピンクと連なった空の色がありえないくらい綺麗だった。この船が明日の8時、大阪の港に着く。乗り物のなかで一夜を明かすのは初めてだった。同行者のRは乗り物が好きだから、いつになくわくわくしている様子。船内ビュッフェも感染症対策で炭水化物ばかりの弁当に代わっていて、レストランを後にしながら、これコンビニ弁当でよかったよねとつぶやくRのことばにうなずく。

いよいよ出航、寒い中デッキで港を見ると、数人の人々がサヨナラと叫びながらスマートフォンの光をかざして振る様子を見、胸を撃ち抜かれたように苦しくなり、「さみしい」とつぶやかざるをえなかった。Rは「船ってなんか悲しいよね」と人々に手を振った。

船内の展望浴場に行って温まった後に客室へ戻ると、Rが晩酌をしようと船内ではちみつ檸檬の酒を買ってきていた。下戸の私はいろはす桃味で乾杯。船に揺られながら深い眠りに沈む。

 

早朝、船の揺れにも慣れた頃、朝食を済ませてデッキに登ると港が見えた。雲の浮かばない突き抜けた青空や粟立つ海の渋さ、見えるものすべてが青い、清く爽快にまみれた朝の空気、尊い。「F」という文字が点滅している。「あれって何やろ、横浜にもあったけど」と尋ねると、「フェリーが通るってサインじゃない?こんなでかい船通ったら漁船が危ないから」と整った答えが返ってきたことに感動した。

 

確か閑散とした神戸の中華街に向かって、姉が絶賛する豚まんを食べた覚えがある。舌が未熟なのかコンビニの豚まんの方が好きやなと残念なモノローグを立てながら、しかし小籠包は美味だった。出店の「あまおう飴」ーーあまおうに飴をかけたフルーツ飴ーーを瞥見して逆輸入やんと笑うも、なんだか食べたくなって頼んだ。でたらめに甘く固い、がりがりと可愛らしくない音を立てて飴の壁を崩す。

 

調べれば近くに「北野異人館」があるというので気まぐれに行ってみれば、まあ相当に見応えのあるところだった。さまざまな国籍のアパルトマンが住んでいた家をめぐることができる地帯、洋館が好きなわたしには満足できるところだった。とくに「洋館長屋」というフランス式の建物では謎の世界観のスペースがあって度肝を抜かれた。

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人の顔がついた本、外にはペンギンが飛び、カレーの海で豚が泳ぎ、コウノトリらしき鳥が花瓶に飾られ、怪訝な顔をした紳士が座る椅子には巨大な蜂。素敵すぎる空間。この旅のなかで一番テンションが上がった。洋館長屋の下に構えている店にミッフィーちゃんのエコバッグが売られているのも疑問だったが非常に欲しくて煩悶していると、見かねたRが買ってくれた。

 

その次は宇治。私はお茶といふものをこの上なく好いている。それはRも同じだった。日本茶検定1級を持っているらしく、事あるごとに緑茶蘊蓄を語ってくれた。辻利や伊藤久右衛門で四千円分ほど緑茶に費やした。橋の川辺にはのんびりと寝そべる人々、のどかだなあと見る。

カフェで抹茶ロールケーキと紅茶を頼む、いたって美味。両隣から京都弁が聞こえて高揚する。Rは緑茶と抹茶の団子を頼むも、玉露は独特な味だったらしく「まだ早すぎる味」と評していた。

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ホテルに着いたのは夕暮れだった。そこそこ良いホテルの40階、見晴らしが非常によくてテンションが上がり、写真を撮りまくる。濃紺と強い橙が溶け合った空に、イルミネーションのように郷愁感漂う街のひかりに魂を奪われてしまいそうだった。

 

近くにスシローがあったので、スシローにて夕食をとった。「〜いけへんでー」とすれ違いざまの通行人が喋っているのを聞いて、おお……と顔を見合わせる。関西弁をもっと感じたかったが、店内はものすごくうるさい。寿司は平常に美味。

帰りにホテルで食べるスイーツを買って、いくつかのことばを交わし、スピッツのライブに一緒に行きたいねと未来の話をしながらホテルに着いた。遅くに就寝。

 

 よく眠れなかった。早朝Rがねむたい顔でおはようと言ってカーテンを開ける。よいながめ。完全に忘れていた2ショットを今更に撮った。

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 道頓堀、たこやき。初めて見るグリコ、予想以上に小さい通天閣、空いてないあべのハルカス、空いてない海遊館、全てにおいて人が少なく、自粛要請を無視したツケを感じた。

 大阪にさよならをして、新幹線にて家路につく。 

 こういう機会はまた来るだろうか、ぼんやりとしながら手を動かして、荷崩しを終えた。

愛さざめいて

 水って落ち着く、

 ゆらりゆらり、ざわざわしてるむねの中の音をかき消すように流線をからだに記して、ひざこぞうや肩の孤島をひんやりさせる。

 じきに水になっていく、うそみたいに冷たくなっていく、ふるえている、わたしの心臓とわたしをつつむ液体が、併せてひとつの生き物みたいに。水は流れる、記憶も流れる? からだに残った記憶は如何? 半券は、写真は、手の感触はどこにゆく?

 浴槽からあしを引き揚げて水滴を拭き取ってしまっても、やっと服を身につけて洗面室をあとにしても、寝る前に点けた部屋の小さな灯りはずっと灯ったままなのだろう。家具のないワンルームに取り残された私だけを照らして、むなしく輝いている。眠るまで消えなさそうな萎れた光。


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いつもどおりに生活している

 今週は小説を書いていた。TBSで土曜21:00に放映される「世界ふしぎ発見!」が無性に見たくてしょうがなかった。最近はまともに見ていないのに。

 小説を書くにあたって、よく言葉を調べる。創作意欲やアイデアが触発されるような音楽を聴く、そのためにパソコンのブラウザを開く。PC版のSafariがブラウザのなかで一番好き。好きなものに囲まれて好きなものを使って生きていけるということが、とつぜん不思議に感じられて困ってしまう。私はこんなに自由だったっけ? と、戸惑う。

 

 本も読んだ。町屋良平の「愛が嫌い」、きれい。好き。今はそれくらいしか言葉を尽くしたくない。それからスピッツを聴く。「触れ合うことから始める/輝く何かを追いかける」。リコリスという曲のうつくしい歌詞。かなしいメロディなのでこの曲を聴くと胸が痛くなってしまう。アイロンのにおいが恋しくなる。「スピッツの曲の中で一番好きな曲は?」という質問は、「死んだら人の魂はどうなるの?」という質問くらい悩ましい。プレイリストが鳴り止んで静寂の間に、背後からぴちょんと水音が鳴った。メダカが跳ねたのだろうか。家にいるメダカは二匹。一匹喪ってしまった。ちくわという名前の背骨が曲がったメダカで、私からすると気が弱そうに見えた。最期は跡形もなく消えてしまった。そんな悲しさを思いながら、今あるものを明日に持ってゆく。生活とはそういうもの。

 

リコリス

リコリス

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虚ろな夜、外は雨

 雨降りの夜だ。家の二階の窓から、遠くにひかる繁華街の姦しさを目に写す。そこでは私の知っている人や知らない人たちが笑ったり手をつないだり道路に唾を吐いたりしている、見えないけど確かにある。もっと近くで見ようと、窓際にある木製の棚に体をぴったりと押し付けると、寝巻き一枚をすりぬけて部屋の冷たさが胸元になだれ込んできた。
 そのとき、私ははっきりと虚無を感じた。なんともいえないやりきれなさを、雨の粒の音を聞き入れながら沁みるように感じた。
 おんがく、おんがく、わけもなく落ち込むときには音楽でごまかさないと。かき消さないと。Ain't Nobody Know が治療薬。音楽、きもちいい。すうっと歌詞が浸透する。痛覚が麻痺する。ハイになる。すばらしい世界、そしてまた眠れない。

 


星野源 – Ain’t Nobody Know [Official Video]