なめらかな日々

水のように生きたい

Time Passages

 うすい黄色の地に朱やピンクの花の柄が散らされた振り袖を着て繁華街を歩くと、通りすがりの外国人に食い入るような目で見られ、少し気恥ずかしいような気持ちだった。コスプレ衣装みたいなものは昔からテンションが上がる。私は内なる変身願望をそなえているに違いない、というなんちゃって心理分析をしてみる。人と落ち合って、通過儀礼のごとくプリクラを撮った。写りがいいと評判のプリ機には長蛇の列。写真の落書き画面に「20」とか「ハタチ」と書き込む。このプリクラを30歳くらいになって懐かしみながら手に取ることもあるのだろうかと感慨深かった。

 

 私ははたして成人だろうか。誕生月的にまだ二十歳に達していないというのもあるけれど、そのような自覚はまったくなかった。大人になることが怖い、十八の時分から思い続けている。これから大人としての分別とか、良識とかを求められるプレッシャーに耐えられない。お酒も飲みつけていないし車も運転できない。突出したスキルも見当たらない。大人の恋愛的なものも経験したことがない。刹那的な享楽を欲望している。いつか「何歳で結婚したいとかあるの?」と人に聞かれたとき、私は答えられなかった。全くの無計画だ。しかし女性にとっての恋愛はわりと世間からの評価に直結していることを私は知っていて、焦燥している。前時代的だろうか、こんなのは。

 

 夜23時に地元の友達を後ろに乗せて、自転車を漕いだ。彼女は私の白のダウンジャケットを両手で掴み、ゆられ、私は風の音で遮られないように大きな声で話をした。首や胸元につけた洋梨すずらんの香水の匂いが、耳元のピアスが揺られるのに合わせて薫る。中学三年生のクラス会以来に二人乗りをしたなあ、あのときは非力で転倒してしまったんだ、夜の空気にあてられてぼんやりと白んだ思考のなか、そんなことを思った。いつか現在の日々を振り返るときちょっと後悔するんだろうなとも、思った。それでも私は歳を重ねていく、愚かしい若き私はここに在る。


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お気に入りの写真。:)

夜の輪郭を思い出せなくなるとき

ゆあみする泉の底の百合花二十の夏をうつくしと見ぬ

 

ふしぎなひととふしぎな時間。おかしな夜の闇に浮かびあがる、うすいデニールのタイツと太腿の感触、冷たい横顔にのぞくまつ毛。拡散する灯に横たわる影が、わたしの違和感を色濃くさせる。私はなぜここにいるのだろう。


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寒さのなかで耽る時間、師走を縫って

 ゆびさきに冷気が乗る。気候の変動に抗えず、両手をこすり合わせる。可視化された吐息を「はっ」と吐く。小学生のときもやっていたこと。キタキツネみたいなふわふわのストールを首に巻きつけると、夏に比べて伸びた髪が視界に入る。染めたっきり染め直しもせず、毛先に向かって栗色になったミディアムショートの毛先がぽわんと浮き立つのが、冬感があって良い。

 寒空を見上げながら歩く。文字通り上を向いて歩くので、不注意極まりない。周りに人がいないか見渡すと、屋台の人が道の端に風呂敷を広げようとしていた。ここのスポーツジムの前で開く屋台の男性スタッフが格好良かったように記憶しているが、不在。ふらふらと避けて、また空を見ながら耽る。カネコアヤノを聴きながら。

 頭にあるのはまず、今書いている小説のこと。主人公の性格が知らず知らず歪んでいるのをどうにかしたい。浮遊感のある甘さと、ティーンエージャー独特の愚かさや毒々しさが共存した小説を書きたいと考えているとそうなる。もちろん主人公の性格が悪い小説などいくらでもあるが、私がそれをやって面白くなるのか。小説はストーリーテラーの視野を信用して読むものだろう。性格が悪い主人公の話を長々と聞いているのは読み手にとって苦痛なのではないか、とまあそんなことを考えていると、目的地へ向かって歩く時間も終わり、バスに乗っている時間も終わり、一日が過ぎ去る。

 最近考えることだらけで、頭のなかがひどく混雑し、まともに睡眠も取れない。課題、手土産、緑茶、睡眠、日記、読書、タコ足配線のようにからまり合う頭のなかを見て気づく。いったん落ち着いて思考を整理し、吟味する時間が足りないということを。

 最近は寒さにも気を取られる。脳内が「寒い」という思考でいっぱいになると他のことを考えられなくなるし、ふわふわなもので体を固めると冷気を防げる反面、暖かくて頭がぼーっとしてしまう。思索するにあたって、よくない季節だ。

 もっと布団にくるまって何事かを考えるような時間がほしい。芽生える思考を胸のなかであたためたい。師走を縫うようにして耽りたい。

 

忙しいと言いながら、遊戯王デュエルリンクスを再開してしまった。

さよーならあなた

さよーならあなた

  • カネコアヤノ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

お風呂のなかで食べる蜜柑みたいな都会のつめたさ

 自転車に乗っていると、向こう側から人がぽつぽつと歩いてきた。同年代くらいの女子。すれ違うちょっと前くらいにふっと相手の顔を見ると、相手も私を見ていた。何か神妙な顔をしていた。記憶を手繰りよせて、どこかで見たような……と考えていると、相手は破顔しながら私の下の名前を呼び捨てで呼んだ。中学校のときのクラスメイトだった。

 

 19年間、福岡市の僻地から住まいを移したことがない。

 訪れたことがない他県の人にどんなイメージを持たれているのだろう。「美味しいものが多い」「公共交通機関が至極シンプル」、魅力的な美点の代わりに目立った観光地は本当に少なくて、基本的に福岡県民は美味しいものを食べるくらいしかやることがないわけだ。

 私はそれでも、田舎にしては便利がいい自分の住む街を気に入っている。

 福岡でいい。生まれ育った場所に満足しながらも、意識のどこかではテレビに映る都会の街並みに惹きつけられていた。

 

 田舎のまなざし、都会の横顔

 修学旅行で東京に行ったときのことを思い出す。2017年立春の頃、フィールドワークで三鷹方面の電車に乗っていた福岡の女子高校生たち  私たちは、誰かが言った「東京には住みたくないよね」という話題で談笑していた。たしかに、人は多いし空気は汚い、犯罪ばかり横行している。私も心からそう思い同意していた。あのときは人混みに洗われるように流され、疲弊しきっていたのだった。

 

 今年の夏、不思議な因果で私は一人東京に行くことになった。東京には元恋人が暮らしているくらいで、特に知り合いはいない。ライブ友達もライブハウスで会うだけ。それで、初めてSNSで知り合った人と現実で会った。Twitterの読書垢界隈で知り合った、今となっては特別な人。日記作家のFさん。仏文科志望のYさん。詩的なツイートをしていて魅力的だと思っていたEさんとも会うことができた。


 彼ら/彼女らに会うために、一人で慣れない東京の電車を乗り継ぎ、雑踏を抜けた。なにか違和感を感じた。つきまとう違和感の正体について考え、ついに解った。

 人とすれ違うときに浴びせられていた、田舎特有の"この子は知り合いなのか、こんな地元に住んでいるのはいったい誰なのだろうか"と探るような、あの絡みつく目つきがどこにも見当たらないのだ。すれ違う人は皆まっすぐ前を向いて、通行人のことなどまるで知覚していないようなすました顔をして歩いていた。街に往来する誰も彼もが他人で、コンクリートでできた人型が歩いているような冷ややかさで敷き詰められていた。ここで私は初めて、自分がぽつんと東京をさまよっていることに気づいた。

 

 ひんやり心地よい都会の孤立

 孤独だと思った。そのときは。

 地元に帰り、なめらかに流れゆく日々を過ごしながら、東京のことをしばしば思いだす。九州よりいくらか気温も低いし、今冬東京で出会った人々がすこやかに過ごせたら良いなと心から思う。

 

 福岡もちかごろぐっと寒くなり、家の風呂の湯温も比例した。湯につかることが好きな私は冬の入浴を好む。家族に「温泉みたいで良いよ」とすすめられたので、風呂で蜜柑をひらいてみる。全身がぽかぽかと暖まり上気するのを感じながら果実のひとかけを口に放り込むと、ひんやりとした蜜柑の腹を舌で感じて思わず顔がほころんだ。

 このつめたさは都会のよそよそしさに似ていると思った。思いがけなく冷たいけれど、決してそれは嫌じゃない。ひとりだったあの東京の夜。それが不快な思い出ではなく、あのひとりひとりが自立して交差していた距離感が気持ちよかったことを、私は今になって気づいた。

 

 たぶん私は都会に住むのに向いている。げんに今、東京に住んでみたいと思っていることからして、きっとそう。


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 こういうキャンペーン大好き、好きなエッセイを発掘するきっかけになるから。

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

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女性性をうざがりながら受容する人生。

 数日前、ツイッターでこんな意見を目にした。

 
 リプライには、お腹を痛めて苦しむのに下ネタと言わないでほしい、無神経だ、みたいな女性の意見が多くあった。

 そういう人の気持ちを汲むことはできるけれど、私はこれについてちょっと疑問を感じた。

 

"女性特有のもの"を口にすること

 そもそも性的な関係が発生していない異性に「今、私生理」と報告する必要はあるだろうか。
 例えば、私は実父に「今生理なんだよね」なんて絶対に言わない。毎月子宮から血を垂れ流す生々しい下半身事情を、万が一にも想像してもらいたくないからだ。男性の中には当然女性に興味がない人もいて、そういう人からしたらセクシュアル・ハラスメント的な悪印象を持つ可能性もないとは言えない。

 「生理」を男性に置き換えてみると、男性器においての生理とは、「勃起」や「射精」に置換できるのではないか。そういった生理現象の報告を、異性の知人にされてどんな気分になるだろう?
 少なくとも、デリカシーに欠ける人なんだなと私は認識する。これが女性になると身体の不調に係るため容認されるべき事項になる、というのが、ちょっと私にはわからない。


 つまるところ、私にとって「対男性の生理の話題」とは「私は女性器を持つ女性です、私を女として見てください」という一種のセックスアピールのようにも思えるのだ。

 それで男性側から生理が下ネタとして解釈されるのは至極当然なことであるし、それに対して「生理を下ネタ扱いするな」と憤るのは逆ギレのようなものではないか、とここでは主張したい。

 

性への抵抗と従順

 話は変わって、私の大学は「女性に優しい大学」と銘打って女性専用ルームが学内に2つもある。しかし、特別優遇する必要性はあるだろうか?と思う。女性はか弱いので守ってあげる対象、みたいな根底意識が根ざしたもののように思えるのだ。

 そう思いながら一方で、私は自分が女性であることの恩恵に預かりもする。

 男性から受ける紳士的な振る舞いにはめっぽう弱いし、恋愛すると、私は自分の「女性性」に凭れかかって意中の男性に媚びだす。恋人がいる時期は美意識が異常に高まるし、相手によく見られるよう、また相手にふさわしい女性になるよう何らかの努力をする。その渦中にいるときは自分の媚びた態度に気づかないが、恋愛が終わればあのときのベタベタな自分気色悪い、と急に嫌悪しだす。
 私は女性の特権から距離を置きたがりながら、「女性扱いされる場所」を必要としているのだ。

 自分の性を忌避しながら利用する、それが女として生まれた私の宿命なのだろうか?
 否。「性別」に頼りながら生きていかねばならないのは、性以外にアイデンティティがなく、人間性が未熟で空っぽだからだ。

ショーペンハウアーが「幸福について」という本のなかで、こんな言葉を残している。

誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである。なぜかと言うに、民族的な誇りのこびりついた人間には誇るに足る個人としての特性が不足しているのだということが、問わず語りに暴露されているからである。すなわち個人としての特性が不足していなければ、何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがないからである。 

幸福について (光文社古典新訳文庫)

幸福について (光文社古典新訳文庫)

 

 

 雑な引用をして申し訳ないが、この"無個性な人々"への皮肉は辛辣かつ的確で気持ちがいいほどだ。「民族的な誇り」を女性性と置き換えれば、私が考えていることに限りなく近い。

 最近ジェンダーをテーマにした小説が増えている。LGBTQなどのセクシュアルマイノリティが受容されつつある時代性も理由の一つだろうが、一番は誰もが持っていて身近である「性」は題材として書きやすいということに、皆が気づき始めてきているからではないか。

 強く魅力ある人間になるのは、今の私にとってとても難しい。この内面のもやを、是非とも創作活動に落とし込みたい。

 


 最近随筆を書いても陰鬱な文章しか書けなくて、やっとちゃんと書けた。マイペースにやります。:)

お酒を飲むとゆううつになる

葡萄サワー。ジュースのような感覚で飲み下してしまった。グラスを持ち、顎を高く上げながら、しまったと思った。頬や耳が熱を持ってじんじんと喚き出し、鏡を見れば頬のみならず瞼までもが紅く、つくづく飲酒に向いていない体である。首に手を当てるとそこが一番熱くて、じきに風に当てられたような寒気が襲いかかってきた。

そして、メインディッシュとでも言うように「ゆううつ」が重い鐘を鳴らしてやってくる。今回のゆううつは過去への後悔。高校のとき文芸部に入り、小説家志望の男子生徒と親しくなっておけばよかった、というもうどうしようもないことをいじいじと考え、顔を赤らめる。過去に対して私はなんて無力なんだろう、と考え、自暴自棄になり、やがて思考は「死」への憧れに至る。そんなものを考えてもしょうがないことは知っている。現実はそこにあり、私が自死を選ぶほど根性がないという事実もよく知っている。生きていることはこんなにも苦しいのに、私が死ぬことによって親族が悲しむというのは二重の悲劇であるように思う。そう思いながらまた酒を煽る。

2019/10/4 偶然

 20:30ごろだったか、学校から帰り道につづく繁華街を歩いていると、よく見た顔が目の前をふらふらと横切っていった。高い背にふわふわと綿菓子のように乗った白髪頭、なぜか焼けて浅黒い顔と老齢のためか細めたような目。すぐに思い出した、あれはK覧先生だと。

 私はどこかへ向かうスーツ姿の先生を早足で追いかけて、横から「K覧先生」とひかえめに声をかけた。

 K覧先生は私が高校生だった頃の先生で、倫理を得意とする公民の教師だった。センター試験の公民で倫理を選択したさい、倫理を受験するのが私だけだったためにK覧先生が過去問と倫理対策の教科書を私にくれて、添削もしてくれたのでK覧先生のことはよく覚えていた。また、私が所属していた美術部のかたちばかりの顧問でもあった。それでどちらかといえばよい印象を持っていたのだ。

 振り向いたK覧先生はひどく驚いた様子で、まず高校生と間違えられた。会話中、「今頭に血が昇っていて」を3、4回繰り返し言っていたと思う。K覧先生は私の通っていた高校を離れ、今は別の高校の教師をやっているそうだ。教え子に声をかけられるのははじめてだ、と感極まったようすで言われ、私もK覧先生の挙動ひとつ取り上げてもなんだか笑えてくるので、お互いずっとへらへらしていた。

 話しかけてさあどうしようという展望もなかったのだけれど、K覧先生はハイスピードで話を展開し、主にK覧先生の教え子自慢話が始まった。私のことは覚えていたかどうかわからない。べつに覚えていなくてもいいと思っていたが、私が倫理の対策のときお世話になりましたと言うと、ああ、思い出した、とK覧先生は言った。

 自慢話の合間、「きみはウィトゲンシュタインを知っているか」と聞かれた。ヴィトギュンシュッタイン、みたいな、私からすると変わった発音だった。はい、知ってます、言語ゲームの、と笑いながら答えた。K覧先生は驚きながらも嬉しそうにして、僕も未だに好きでね、家に全集があるんですよ、と言われていた。

 私が「ショーペンハウアーがかっこいいと思います」と言うと、K覧先生はええ、と大袈裟に後ずさりしたのでまた笑ってしまった。鬱々としているから彼の本は読めないんだよなあと言う。そこまで言われて、私はK覧先生がポジティブ気質の人なのかどうか性格傾向を全く掴めておらず、今何歳なのか、結婚はしていたっけ、下の名前はなんだろう、と何もかもが曖昧なまま記憶が滞留していることに気づいた。そこまで15分くらい立ち話していたと思う。それから今の学校の教え子が暴れ馬だと仄めかした話をしたり、私が芸術系を学んでいるということから教え子の展覧会を紹介してくれたり、色々話した。別れ際に「応援しています」と声をかけたが、応援って変な感じだなあ、と自分で言ってピンとこなかった。ともかくK覧先生とお互いに気をつけてお帰りくださいと言い合い、その場を後にした。

 私は"恩師"的な存在を得たことがないので過去お世話になった教師に声をかけることなど初めてだったが、K覧先生側も教え子に声をかけられたのは初めてらしく、「悪印象だったら声をかけないと思うし、これは嬉しいことだ」と喜んでいるようなようすだった。あそこで声をかけてよかったなと思いながら、丁度到着したバスに乗り込んだ。