なめらかな日々

水のように生きたい

2019/10/4 偶然

 20:30ごろだったか、学校から帰り道につづく繁華街を歩いていると、よく見た顔が目の前をふらふらと横切っていった。高い背にふわふわと綿菓子のように乗った白髪頭、なぜか焼けて浅黒い顔と老齢のためか細めたような目。すぐに思い出した、あれはK覧先生だと。

 私はどこかへ向かうスーツ姿の先生を早足で追いかけて、横から「K覧先生」とひかえめに声をかけた。

 K覧先生は私が高校生だった頃の先生で、倫理を得意とする公民の教師だった。センター試験の公民で倫理を選択したさい、倫理を受験するのが私だけだったためにK覧先生が過去問と倫理対策の教科書を私にくれて、添削もしてくれたのでK覧先生のことはよく覚えていた。また、私が所属していた美術部のかたちばかりの顧問でもあった。それでどちらかといえばよい印象を持っていたのだ。

 振り向いたK覧先生はひどく驚いた様子で、まず高校生と間違えられた。会話中、「今頭に血が昇っていて」を3、4回繰り返し言っていたと思う。K覧先生は私の通っていた高校を離れ、今は別の高校の教師をやっているそうだ。教え子に声をかけられるのははじめてだ、と感極まったようすで言われ、私もK覧先生の挙動ひとつ取り上げてもなんだか笑えてくるので、お互いずっとへらへらしていた。

 話しかけてさあどうしようという展望もなかったのだけれど、K覧先生はハイスピードで話を展開し、主にK覧先生の教え子自慢話が始まった。私のことは覚えていたかどうかわからない。べつに覚えていなくてもいいと思っていたが、私が倫理の対策のときお世話になりましたと言うと、ああ、思い出した、とK覧先生は言った。

 自慢話の合間、「きみはウィトゲンシュタインを知っているか」と聞かれた。ヴィトギュンシュッタイン、みたいな、私からすると変わった発音だった。はい、知ってます、言語ゲームの、と笑いながら答えた。K覧先生は驚きながらも嬉しそうにして、僕も未だに好きでね、家に全集があるんですよ、と言われていた。

 私が「ショーペンハウアーがかっこいいと思います」と言うと、K覧先生はええ、と大袈裟に後ずさりしたのでまた笑ってしまった。鬱々としているから彼の本は読めないんだよなあと言う。そこまで言われて、私はK覧先生がポジティブ気質の人なのかどうか性格傾向を全く掴めておらず、今何歳なのか、結婚はしていたっけ、下の名前はなんだろう、と何もかもが曖昧なまま記憶が滞留していることに気づいた。そこまで15分くらい立ち話していたと思う。それから今の学校の教え子が暴れ馬だと仄めかした話をしたり、私が芸術系を学んでいるということから教え子の展覧会を紹介してくれたり、色々話した。別れ際に「応援しています」と声をかけたが、応援って変な感じだなあ、と自分で言ってピンとこなかった。ともかくK覧先生とお互いに気をつけてお帰りくださいと言い合い、その場を後にした。

 私は"恩師"的な存在を得たことがないので過去お世話になった教師に声をかけることなど初めてだったが、K覧先生側も教え子に声をかけられたのは初めてらしく、「悪印象だったら声をかけないと思うし、これは嬉しいことだ」と喜んでいるようなようすだった。あそこで声をかけてよかったなと思いながら、丁度到着したバスに乗り込んだ。