なめらかな日々

水のように生きたい

ゆううつの頻度

 もう1.5ヶ月ほどひどく落ち込んでいない。ということは、ゆううつの波がもうすぐ訪れるはずだ。そのときは静かに部屋の布団に寝そべり、暗闇のなか眼を開く。何も見えない。携帯の液晶も、己の体さえも。そうして存在を消すことが、ゆううつな自分を肯定することにつながる。そうすると、いつもの何も考えていないぼーっとした私が暗がりのなかから這い出てきて、暗闇に居座る私を強い力で抱きしめてつぶしてしまう。その繰返し。「幸せは途切れながらも続くのです」悲しいことの次には嬉しいことがあるはずなのだ。しかし、「嬉しいことの次には悲しいことがあるんだ……」とまたプチゆううつになってしまうあたり、私はペシミストである。ショーペンハウアー礼賛。彼は女を見下しすぎているきらいはあるが。

 ゆううつと何でもないときを交互するのって疲れるから、ゆううつじゃないときはゆううつについて考えないほうがいい。就寝。

スピカ

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